2007-03-31

Barber, Red Capital Club, 床屋、新紅資倶楽部

 At a barber of Xihuashi Dajie, Chongwenmen District, Beijing, 10:57:22.
 北京市崇文門区西花市大街の床屋の店内、午前10時57分22秒。
 At "Red Capital Club", #66, Dong 49tiao, Dongcheng District, Beijing, 21:56:28.
 「新紅資倶楽部」、北京市東城区東49条66、午後9時6分28秒。
 At "Red Capital Club", #66, Dong 49tiao, Dongcheng District, Beijing, 22:10:09.
 「新紅資倶楽部」、北京市東城区東49条66、午後10時10分09秒。

2007-03-30

Air Hostess, Peking Duck, 女性乗務員, 北京ダック

 In front of the International Flight Departure Lobby 82, Terminal 2, Narita International Airport, 13:57:44.
 成田空港第二旅客ターミナル、出発ロビー82、午後1時57分44秒。
 At "Quanjude" in Beijing, 21:26:51.
 北京市「全聚徳」、午後9時26分51秒。

2007-03-29

Cherry-Blossom Viewing, お花見

 At Shiba Park, Minato-ku, 17:14:12.
 港区芝公園、午後5時14分12秒。

2007-03-28

Sign, 看板

 At 3-13, Akasaka, Minato-ku, 8:14:42.
 港区赤坂3-13 午前8時14分42秒。

2007-03-27

Doorman, ドアマン

 In front of the main entrance door of "Meiji Kinenkan", 18:58:52.
 明治記念館正面玄関前、午後6時58分52秒。

2007-03-26

A Vietnamese Lady, ベトナムの女性

 At 2-14, Akasaka, Minato-ku, 17:58:31.
 港区赤坂2-14、後5時58分31秒。

2007-03-25

Cherry Tree, 桜の木

 1890 Mabashi, Matsudo-shi, 17:09:02.
 松戸市馬橋1890 午後5時9分2秒。

2007-03-24

Photographer, 写真家

 At temple grounds of Kinryu-zan Sensoh-ji, 11:00:34.
 金龍山浅草寺境内 午前11時00分34秒。

2007-03-23

A Young Lady, 若い女性

 At platform of Ochanomizu Station on JR Sohbu Line, 19:41:24.
 JR総武線線御茶ノ水駅ホーム 午後7時41分24秒。

2007-03-22

High School Boys, Alumnae, 男子高校生, 卒業生

 At platform of Horita Station of Meitesu Nagoya Main Line, 13:16:55.
 名鉄名古屋本線堀田駅ホーム 午後1時16分55秒。
 At platform of Kanayama Station on JR Chuoh Main Line, 15:00:41.
 JR中央本線金山駅ホーム 午後3時00分41秒。

2007-03-21

Cherry Blossom, 桜

 1890 Mabashi, Matsudo-shi, 14:40:09.
 松戸市馬橋1890 午後2時40分09秒。

2007-03-20

Hitotsugi Cross, 一ツ木交差点

 Hitotsugi Cross, Akasaka, 7:59:14
 赤坂一ツ木交差点 午前7時59分14秒。

2007-03-19

Hitotsugi Cross, 一ツ木交差点

 Hitotsugi Cross, Akasaka, 18:20:51.
 赤坂一ツ木交差点 午後6時20分51秒。

2007-03-18

望月久也展 ─ 月の在り処 ─

 お腹も落ち着いたのでメタル・アート・ミュージアムに引き返す。途中で見事な菜の花畑の黄色が目に飛び込んできた。
 望月久也展 ─月の在り処─。ステンレススチールを用いたシャープな作品群が冷たい青い空の下に並ぶ。残りの作品は屋内の展示室に展示されている。
 作家の望月久也さん(左)とメタル・アート・ミュージアム光の丘館長の北詰さん。

印旛日本医大駅

 分かっていたことだが、昨日の一ヶ月ぶりのトレーニングのせいで体中の筋肉が痛む。
 これも一ヶ月ぶりでバイクを引っ張り出して案内状を頂いたメタル・アート・ミュージアム光の丘まで464号線を一走り。北総開発鉄道の終点「印旛日本医大駅」はmk88写真日記で一度紹介しているが何度見ても異な形をした駅だ。駅の裏側にマンションが建つようだ。
 山田橋の手前にメタル・アート・ミュージアムに抜ける近道を見つける。農道のようだが道なりに下りて行くとカラカラに乾いた田んぼの間を抜けて印旛捷水路に沿った道に出た。
 昼時を過ぎてお腹もすいたのでメタル・アート・ミュージアムの前を通り越して印旛沼漁業協同組合直営の水産センターのうな重で昼食。今日も特上うな重は売り切れで残念。特上うな重はポッカうなぎ3Pが使われていてなかなか口にすることができない逸品だ。ポッカとはこの辺りの「大きい」という意味の方言で50cm以上のうなぎを指す(前回ここに来たときに上うな重の写真を撮ったので今日は写真無し)。

2007-03-17

一ヶ月ぶり

 前回GYMに行ったのは2月17日、その後出張が続いて丸一ヶ月行っていなかった。一ヶ月ぶりに動かした身体はすっかり硬くなっており切れも悪くなっている。
 ゆっくりと身体をほぐし、軽い負荷でのんびりじっくり身体を動かしたのだがさすがに一月のブランクは大きくトレーニングが終わった時は身体がだるい。
 帰宅してCDを聴きながらうとうとしてしまったが、これが何ともいえずいい感じのトリップだった。

2007-03-16

台北 (4)

 最後の台北訪問は2004年4月だから丁度三年ぶりになる。街の雰囲気はその頃のワサワサと慌ただしいものよりもずいぶん落ち着いたものになったように感じる。
 ホテルの裏で見つけた「勝立生活百貨」という名前のスーパーマーケットの壁にかけられていた乳幼児用の入浴剤メーカーの看板。左の短いコピーは『パパの、ママの、私の貝恩』としか言っていないが、お母さんは臍出しルックで明らかにお腹がポッコリしている。何故だ?

2007-03-15

台北 (3)

 昼までの空いた時間に林森北路周辺の路地奥にある商店街を歩いてみた。
 女性の下着を売っている店の隣に魚を売っているのを見つけた。日本でこの二つの商品が並んで売られている所を見つけるのは難しいだろう。

2007-03-14

台北 (2)、景福宮

 台北で宿泊している帝后大飯店からワンブロック裏手に夜目にも派手なお寺「景福宮」がある。昨夜、空港からホテルに向かう途中、車の中から見かけて気になっていた寺だ。
 夕食後、タクシーでホテルに戻る途中で「景福宮」の前を通りかかると、Henryさんが最近できた寺だけど見てみようとタクシーを降りたので続いた。
 日光の東照宮よりもゴージャスな色彩、なんとも品のない装飾は寺に入るものを圧倒する。寺の入り口両側にかけられた額の文字に簡体字が混じっているのをHenryさんが見つけた。ここは繁体字を使う文化圏、しかも由緒を重んじるはずの寺なのに。Henryさんの推測は、この寺を建設するときに部材としてできあがったものを中国大陸から仕入れてきたからだろう、その方がコストがかからないからね。
 寺は三階建てで、各階正面にご本尊というべきか金ぴかの像がまつられている。さらに周囲の設備の一つ一つに「参拾満圓」とか「陸拾満圓」(六十万円)という札が貼ってあり寄進を勧めていることだ。既に寄進した人の名前が書き込まれている大きな像(仏像ではない)が何体かあった。
 天井は赤と緑と金色で塗り込められた灯籠がびっしりと並んでいる。寺の入り口右隅に5mほどの自然石により石碑が建っている。これにも寄進額別にランク分けされて寄進した人の名前が彫り込まれている。壱満圓を二人で寄進した人達の名前は一行のスペースに長体で二行、その名前が彫られていた。彫る手間はこちらの方がかかっていると思うのだが?

2007-03-13

台北 (1)

 ホテルの直ぐ裏手に台湾料理では「青葉」とともに名の知れた「欣葉」があったので三澤さんと二人で夕食に入る。ここの台湾シジミのニンニク醤油漬けはおとなしい味だ。他に鶏肉とカシューナッツ炒め、空芯菜炒め、酢豚、スープに辛酢湯を頼んでビールは台湾ビール大瓶1本。締めて1,491元。先々週までいた中国東北地方に較べると料理が味も盛りつけも全体に優しい仕上がりだな〜と台湾料理の印象を新たにした。
 食後はホテル近くの屋台街を冷やかしてみたが、食べ物屋ばかりで面白いものは無し。台北には三年ぶりに来たが、たった三年の間にずいぶん清潔な街になったようだ。
 今日から金曜日まで台北出張、泊まっているホテルは徳恵街十四號の「帝后大飯店」。

2007-03-12

浅草雷門前通り

 短い区間だが人通りも車の通りも少なくなった浅草浅草寺雷門前通り午後7時9分。中央分離帯と歩道の街灯にイルミネーションが光っていた。

2007-03-11

ここは?

 大手町から40分足らずの距離にある馬橋駅から徒歩で5分ほどの細い路地の奥。35年間変わらず今の状態が続いている。その荒れ地にも緑の芽が出始めた。

2007-03-10

ソウル、北京、盤錦、の記録

 当Blogの2月21日から3月6日までの「ソウル、北京、盤錦、天津」の記録のコメントをやっと全てつけ終わった。この旅行の詳細は「mk88写真日記」にまとめる予定だがまだまだ時間がかかりそうだ。

2007-03-08

赤坂の晴空

 今朝の赤坂の青空にも舞っているのか杉花粉。通勤電車の中で見かけるマスクを着けた通勤客の姿が日に日に増えていくのだろう。
 2月に入って直ぐに飲み始めた「アレグラ」が効いているようで幸いにも自分には杉花粉症の症状は出ていない。

2007-03-07

職場復帰(リハビリ)

 本日午後より職場復帰。殆どリハビリ状態。
 胃と腸と肝臓には自信があったが今回の出張でそれを打ち砕かれそうになった。心臓だけは無傷で残っている。
 理由はアップできていない3月3日から3月6日の当Blogで後追いレポートの予定。

2007-03-06

天津、ソウルそして帰国

 午前2時30分、天津駅到着。ホームに下り立つと盤錦よりも空気がゆるんでいるのが分かる。ここで下りる人はそれほど多くなくホームを三々五々階段に向かう。
 盤錦から乗ってきた列車の横に取り付けられた運行区間を示す表示板には『大連(特快)上海』とあった。
 各ホームを結ぶ通路は薄暗く、改札口に向かう旅行鞄のキャスターがガラガラと賑やかに響いていた。
 天津駅から10数分の馬超さんの家で一休みさせてもらう。
 馬超さんのお母さんが用意してくれた朝食をいただいて、朝8時、馬超さんの友人の車で北京国際空港に直行。10時30分に空港に着く。北京からずっと一緒だった馬超さんとはここでお別れ。
 チェックインして帰国便が違う于くんとも別れる。写真は搭乗するKE852便。
 ソウルインチョン空港で約4時間の乗り継ぎ待ち。その間がらんとした搭乗口前のベンチで3時間ほど仮眠する。
 目が覚めると少し元気になったようだ。土産物を買って成田行きのKE705便で帰国。最後の二日間はなかなか体験することができない14日間の旅だった。

2007-03-05

盤錦 (6)

 気になる雪は降り止み空は真っ青の快晴だが相変わらず交通機関は麻痺している。とにかく今日中に北京までもどらなければ明日の飛行機に乗ることができない。じっとしていても誰も北京まで連れて行ってくれないのだ。
 この雪ではタクシーも走っていないだろう、わずか5kmだ、とにかく盤錦駅まで歩こうとお世話になった于くんの家を後にする。于くんの家はこの棟の4ブロック目の5階。
 幸い、大通りに出たところでタクシーを捕まえることができた。5km歩くのも良い体験かと思ったがこんな雪道に大きなスーツケースでは楽な方がいいに決まっている。
 途中で大型トラックが腹を見せて横転していた。昨夜の吹雪のすごさを忍ばせる光景だ。
 薄暗い盤錦駅構内に入っても未だ寒い。周囲の大きな窓は二重窓でその下にはスチーム暖房が設置されているのだが暖房の効果はほとんど無い。鞄を開けてネル地のシャツと毛のチョッキ、さらにレザージャケットを引っ張り出して着込む。それでも暖かくなったといえる状態ではなかった。
 北京行きの列車は何時来るか分からない状況だ。やっと入って来た上海行きの列車で天津に行くことにする。プラットホームに入ってきた列車は既に通路まで満員。列車のドアの前も人で一杯というラッシュアワー並みの混雑。そこを鞄を片手で引きずり上げ前の人を引きずり降ろしてでも乗り込むという力まかせの乗車になってしまった。乗車するにはプラットホームからステップを三四段上らなければならないので大きな荷物を持っている乗客はどうしても不利だ。私のお陰で乗り損なってしまった名も知らぬ中国の友人よ許せ。
 一番空いている最後尾の車輌までまたしても強引な移動を敢行。たどり着いた列車の最後尾でよほど惨めな顔をしていたのだろう、左に立っている青年が席を譲ってくれた、多謝、多謝。
 その席を譲ってくれた青年はいつの間にかいなくなってしまった。きっと私たちと同じように切符を持たずに乗車したので切符でも買いに行ったのだろう。もちろん私たちは乗車後直ぐに列車乗務員を捕まえて乗車券を購入している。実は乗車する列車を土壇場で変えたために乗車券無しで、乗車口脇に立つ駅員が切符の提示を要求する大声と制止を振り払って強引に乗り込んで来たのだ。
 前の女性は流ちょうな英語を操るのに現在無職。左の女性は一人旅。後は天津まで6時間半の旅だ。

2007-03-04

盤錦 (5)

 夜半から吹雪き。中国東北地方を襲った56年ぶりの大雪だ。飛行機も列車も止まり高速道路も封鎖されているとニュースが伝えている。
 街のあちらこちらから春節を祝う爆竹の音が響いてくる。昼過ぎに于くん宅でも吹き込む雪にもめげず窓を開けて『バチ・バチ・バチ・バチ〜ッ』。その後、白玉を一回り大きくしたゴマ餡入りの団子と餃子を頂く。
 その吹き降りの中を于くん一家と夕食に出る。未体験の寒さの中、背中を風混じりの雪に押されながら電飾の消えた暗い道を進む。
 こんな吹雪の日では店も開いていないのではないかと于くんと話しながら雪の中を歩いたが目指すモンゴル料理レストラン「牧羊人」は営業していた。ここはモンゴル人が経営し、材料を現地から調達しているこの界隈でも評判のレストランだそうだ。驚いたことに店内には少ないが既に客がいた。
 先ず頼んだのが馬乳酒ならぬ牛乳から作られた白酒「金張」、52度。今夜は于くんのお父さんと二人でこれを空にするのか〜、鍛えられる。
 右の皿にのっているのはニラに唐辛子をかけて焼いたもの。実にジューシーで日本では食べたことがない美味さだった。左の皿はどじょうインゲンを焼いたものでこちらもいける味だった。羊のもも肉やすね肉を焼いたものは野性的でいかにも滋養がありそうだ。
 店内の壁にはチンギスハーンの業績がモンゴル文字で語られていた。

2007-03-03

盤錦 (4)

 于くんの友人周玉くんの車で街外れにある石油採掘機まで連れて行ってもらった。何となく感動。周囲を見渡すとあちらこちらに同じように採掘機が首を振っている。
 盤錦最大と思われるレストラン「生態酒店」内の「怡郷春竹」で于くんの叔父さん郭継風の招待を受けて夕食。ここで食べたヒラメの刺身は美味しかったが鼻の奥を襲うだけの練りワサビと濃い醤油はいただけなかった。
 下の写真はその「生態酒店」の入口を入ったところ。温室ではない。とにかく内部は広い。店内には違った種類の料理を出すコーナーがそれぞれ用意されている。
 「怡郷春竹」の専用出入口から出て振り返るとるとその見事な電飾に圧倒された。