2009-06-28

雨の鎌倉

 池袋のホテルを出た頃は未だ降り出してはいなかったが北鎌倉駅で電車を下りたときは傘無しでは歩けないくらいの降りになっていた。
 円覚寺で座禅を組む人達の後ろ姿を遠望し、明月院で人の波に乗って見事に咲きそろった紫陽花に触れる。
 そこから20分遅れでやってきたバスを利用して鎌倉まで移動。昼食時を過ぎていたが何処を覗いても満員の行列で、道路を一本外した裏道でやっとすき始めたラーメン店を見つけて昼食。ラーメン初体験のJohnny、Codyともスープも残さず完食。煮干しベースのスープが口にあったようだ。
 Barbaraがどうしても太平洋に触れたいというので鶴岡八幡宮前から由比ヶ浜まで雨の中を歩く。浜では夏に向けて「海の家」の準備が進んでいた。鎌倉の海は今日が海開きだったようだ。
 強くなった雨脚の中を鶴岡八幡宮に戻ると相変わらずの人の波で、Codyが『雨なのになんでこんなにたくさん人がいるの?』と聞いてきた。何故なのかはこちらが聞きたいくらいだよ、Cody。
 江ノ電で移動した長谷で見学した鎌倉の大仏は、初の海外旅行の初来日という二人の若者(JohnnyもCodyも共に17歳)に少なからぬカルチャーショックを与えたようだ。夕食の時に二人に鎌倉の印象を聞いてみたら、大仏と、寺・寺・寺、寺の多さだと返ってきた。

2009-06-27

川越と日の出町

 川越駅で待ち合わせた柴田耕三くん(伝説のレゲエバンドKing Kong Paradiseのギタリスト)と川越駅で落ち合うことになっていたが会うことができず、お互いの携帯電話を鳴らしあって双方の川越駅が違っていることが判明。Barbara、Johnny、Codyと共に向かった先は東武線の川越駅で、柴田くんが指定したのは西武線の本川越駅だった。
 ようやく本川越駅前に停めた彼の車を見つけて乗り込み、柴田くんと25年振りの挨拶を交わし、そのまま一同そろって小江戸に向かった。
 養寿院内の河越太郎重頼の墓塚の前で。右端が今も現役でギターとベースを操り、スタジオワークをこなす柴田くん。
 BarbaraがどうしてもJohnnyに見せたいという嘗て住んでいた家を探しに、柴田くんの車で奥多摩の日の出町までドライブする。
 自分でもバイクで何度も通った嘗てBarbaraやHelena、柴田・Andyカップルが部屋をシェアして暮らしていた家も見つかり、いぶかしげな視線を投げてくる隣人に挨拶をして、その家の前の小山の上にある北郷神社を訪れた。

2009-06-26

Barbara

 25年振りの再会になるBarbaraの顔を覚えているか心許なかったが、到着ロビーのミーティングスポットに出てきた彼女は直ぐに見分けがついた。
 2時間近く遅れてBrunswick(Maine州)から成田空港に到着した彼女と息子のJohnny、Johnnyの友人Codyを池袋のホテルまで案内する。電車の中で彼女の矢継ぎ早の質問に返答が詰まることもしばしばで、彼女の好奇心の強さは以前とちっとも変わっていない。
 今朝6時半頃(日本時間)歌手のMichel Jacksonが自宅で亡くなったねと話題を変えたら、彼らはそのニュースを知らなかったようで非常に驚き詳細を知りたがったが、あいにくそれ以上のことは未だ報道されていない。
 ホテルに着いて直ぐにシャワーを浴びベッドに潜り込んだCodyをたたき起こして4人で遅めの夕食に出る。若い二人は可愛そうなくらい眠そうだったが食べるモノがテーブルに並んだら少しは眠気も遠のいたようだ。
 焼き鳥屋のつもりで入った店はジンギスカン鍋の「義経」だったが彼らの口に合わないモノはなかったようでやれやれ、彼らの長~い一日はここで終わった。

2009-06-25

産業用バーチャルリアリティー展

 東京ビッグサイトで開催されている「第17回 産業用バーチャルリアリティー展」の会場内はなかなかの人出と熱気だった。
 3Dディスプレイ技術のコーナーは「Display 2009」よりも出展社数が多く賑やかで、音楽のライブ番組や展示会場のライブ映像が立体映像で提供されていたが、こういうコンテンツを3D映像化するとどんなメリットがあるのかが分からなかった。
 3Dディスプレイ技術に相応しいコンテンツってなんだろう? 世界遺産とアミューズメント(ゲーム?)向けの映像くらいしか思い浮かばない(3Dのデモ映像を撮影しても2Dになってしまうので撮影しなかった)。
 下の写真はモニターの中に映し出されているモノをつかむモーションキャプチャーのデモンストレーション。
 戦闘機と地上の様子を同時にリアルタイムでレンダリングしていたのは通常のノートパソコンだ。
 戦闘機を俯瞰した画像からコックピット内の計器板やノブまでのズームインがリアルタイムだ。ズームインした画面に描かれたノブの一つ一つが動くのにさらにビックリ(兼松エアロスペースブースにて)。

2009-06-23

Glenfarclas 105

 カウンターに肘を預けながらの最初の一杯は、お気に入りのハバティーニ(ハバナ・マティーニ)。で、次は何にしようかとボトルロッカーに目をやるが定まらない。
 野口さんに『ウイスキーの甘いヤツを…』とお願いしたら、しばらくボトルロッカーの前であれこれ手にとって考えていたが、ややあって用意してくれたのが「Glenfarclas 105」のオンザロック。アルコール度数は60度とチョット高め。
 つまみに出してくれたドライ・イチジクの自然の甘みが、高い度数の割にはいたって優しい舌触りと喉ごしのハイランド・ウイスキーをいっそう引き立ててくれた。
 これだからBlossom通いがやめられないのだ。ボトルの奧は岡さん。

2009-06-21

放置コンテナ?

 都心の空き地に大きなコンテナが放置されている? それもきれいに塗装されたコンテナだ。自動販売機まで?
 このコンテナ、実は公衆トイレで左のブロックが男性用、右のブロックが女性用になっている。
 地下鉄日比谷駅11番出口の階段を上ると三信ビルの跡地に作られた日比谷パティオの前に出る。
 コンテナを利用したトイレは日比谷パティオの施設だが、日比谷パティオにはこの他にもコンテナを利用した施設が並んでいる。

2009-06-20

神田の肉そば

 山形県河北町の「一寸亭本店」で初体験の肉そばを東京で食べられるようになったという、それも神田の地でだ。
 花村モータースでバイクの自賠責保険を更新した帰りに肉そばがあるという「河北や」に回った。場所は神田警察の並び、担々麺で名を挙げつつある「辣椒漢(ラショウハン)」の数軒先だ。
 外観は立ち食いそば屋風、店内も広くない。道路を挟んで「河北や」の真向かいが島津製作所なので神田警察署と共にいい目印になるだろう。
 肉そば(380円)の食券を買ってカウンターに出す。大盛りは食券と一緒に現金100円を添える。
 下の写真は肉そば大盛り480円。そばの上に載っているのは上品に味付けされた鶏肉とたっぷりの刻み葱。「一寸亭本店」で初めて肉そばを食べてから9ヶ月経っているので厳密に味を比較することはできないが、一口すすって『あっ、これだ!』という手応えがあった。
 食べる前の汁は関西のうどん汁のように透明に見えたが、そばを食べ終わって改めて汁の色を見るとご覧の通り。
 鶏肉の旨みだけを閉じ込めたこの汁を残すことができなかった。
 肉そばの他に牛すじライスカレー(580円)、担々つけ蕎麦(680円)、カレー蕎麦(480円)、肉中華(550円)、河北カツ丼(680円)などいずれもトライしてみたいメニューばかり。
 店内は昼食時を過ぎても客足が途絶えることがなかった。
 「河北や」の並びにある「辣椒漢」の店の前を通ったが閉まったドアから食欲をそそる山椒の香りが漏れてきた。ここの担々麺にもいずれご対面しないといけないな。

自賠責保険更新

 数日前に神田の花村モータースの親爺さんからバイクの自賠責保険が更新時期だと知らせて来たので、放っても置けないし、シリンダーのオイルも下がりっぱなしなので晴れ空を幸いに都心に向けて一走り。
 店の奥に置かれたパソコンが修理パーツの在庫確認や発注に利用されていることは知ってっていたが、自賠責保険の更新手続きもWeb経由になっていた。
 私よりも大分先輩の花村の親爺さん、お年に似合わず慣れた手つきでキーボードをたたきあっという間に保険証書を印刷してくれた。
 ナンバープレートに貼られたシールは次回の更新時期が5年先の平成26年6月だといっている。果たして5年先もこのバイクに乗っているのだろうか?
 前回の更新は5年前、その時も同じことを思ったような気がする。目の前の5年は長く感じるが過ぎた5年はあっという間だ。

UD?

 あるところには未だあるんだなぁ。都心で公衆電話機が並んでいる光景にお目にかかるのは珍しいことだ。テレホンカードの販売機まで並んでいる。
 一台は低くした台に設置してある。受話器までの距離の差はわずかなものに見えるが、車椅子を使用している人に考慮したものだろうか。
 プッシュボタンの数字が蛍光色の黄緑色で大きく描かれて見やすくなったのがいつ頃のことなのか、今日まで知らなかった。
 よく言われることが、電話機のプッシュボタンの数字と電卓の数字の並び方が同じだったら、どちらももっとUniversal Designだったのに!
 テレホンカード挿入口の上下に施されている点字もシールを貼ったモノではなく製造時に刻印されたモノだった。

2009-06-10

INTEROP 2009

 仕事に関連した展示会の殆どが東京ビッグサイト開催になってから久しい。久しぶりの幕張メッセでは今日から12日まで「INTEROP 2009」が開催されている。
 デモンストレーション展示されていたSONYの業務用HDカムコーダー。
 手書きのデジタルコンテンツ配信ラックの説明が妙に新鮮だった。
 離れた展示ブースまで漂ってくるカレーの匂いに「んっ?」。周囲にそぐわないカレーショップは開場の真ん中に出店していた。

2009-06-09

オルタンシアと18年モノ

 エントリー・ナンバー40番の「オルタンシア(Hortensia)」をBlossomのカウンターで。材料のボトルの前にグラスを置いてもらい野口さんにもフレームに入ってもらった。
 オルタンシアの後は「三彩居」で望月さん、杉岡さん、野崎さん、デイビッドさんと台湾料理を楽しむ。モチヅキさんのお陰でむさ苦しい席も華やかになりグラスも箸の進み具合も度を超してしまった。
 店長の呉さんが出してくれた18年モノの紹興酒、銘柄は見かけたことがないラベルだったが癖のない豊かな香りでモチヅキさんのお好みの1本になったようだ。

2009-06-07

快挙!

 日本バーテンダー協会創立80周年になる今年の「全国バーテンダー協会 技能競技大会」で興奮してきた。
 学科、フルーツ・カッティング、課題カクテル、創作カクテルの各部門で知識、技術、センス、アイデアなどが審査され、バーテンダー日本一が競われる。選手は各地区の予選を勝ち上がって来た40名のプロフェッショナル・バーテンダー達、会場は新宿「京王プラザホテル」の「 コンコードボールルーム」。
 学科とフルーツ・カッティングは非公開で、観戦できたのは課題と創作のカクテル部門。
 カクテル部門の競技が始まって直ぐにフルーツ・カッティングの競技結果が会場入り口前に並べられた。この競技はカッティング技術、盛り付け、商品価値などが評価のポイントになっている。
 写真はBlossomの野口さんのフルーツ・カッティング作品。「オルタンシア」は彼女が今回エントリーした創作カクテルの名前。
 12時半から始まったカクテル部門の競技も4時半過ぎになってようやく最後の競技者達の出番になった。
 創作カクテル部門でシェーカーを振る野口さんはエントリーナンバー40番で最後の競技者の一人だ。
 競技後6時から始まった懇親会は1,000人を越える参加者達の、競技結果の発表を待ちわびる熱気でいやが上にも盛り上がっていった。
 左端の二人はBlossom仲間のThomas Parr夫妻。
 ざわついた会場に最初の入賞発表アナウンス「ベスト・ネーミング賞はエントリー・ナンバー40番です。」が流れてのっけからのけ反った。40番は野口さんだ。「オルタンシア(Hortensia/アジサイ)」が入賞だ。Blossom応援団のテンションはこのアナウンスで一気に上がった。
 写真は「オルタンシア」。量が減っているのは応援団が口をつけてしまったから。「美味しいねオルタンシア!」
 レシピは
  ドライジン(25ml)
  ピーチ・リキュール(25ml)
  ラベンダー・シロップ(10ml)
  フレッシュ・ライム・ジュース(10ml)
  ブルー・キュラソー(1tsp)。
 デコレーションもフルーツで作られている。
 実はのけ反るのはまだまだこれからだった。続いて発表されたフルーツ・カッティング部門で、またしてもコールされた「エントリー・ナンバー40番」。このコールは部門第3位を告げるものだった。
 これだけの成績でも応援団はのぼせ上がっているのにもっと凄い結果が待っていたのだ。
 初出場の40番を応援に来ているBlossom応援団の一角をほとんど収支がつかない状況に陥れたのが、創作カクテル部門第1位発表の瞬間だった。この日3回目の「エントリー・ナンバー40番」のアナウンスで、ステージ上の野口さんも顔をゆがめている。一緒に応援していたBlossomのスタッフで野口さんの練習をサポートしてきた知念さんも岡さんも涙で顔がくしゃくしゃ。
 創作カクテル部門表彰式で込み上げてくるものを押さえる右から1位の野口さん、2位の耳塚さん、3位の田畑さん。
 そして最後の総合順位の発表によって大会運営スタッフがBlossom応援団を鎮圧するために出動することになってしまった。
 なんと全国大会初出場の「エントリー・ナンバー40番」が総合順位でも居並ぶ先輩諸兄姉を抑えて第3位に入賞してしまったのだ。この結果に興奮しなくて何が応援団なんだ!

 「野口さん、ベストネーミング賞、フルーツ・カッティング部門 第3位、創作カクテル部門 第1位、総合 第3位、おめでとう!」 

 総合入賞者の表彰式で困ったような顔をしている左から「エントリーナンバー40番」嬢と第2位の山田さん、第1位の田畑さん。
 第1位の田畑さんは来年の世界大会に日本代表として派遣されることになっている。
 「田畑さんおめでとうございます!」
 大会後、会場近くの居酒屋で開かれたBlossom応援団の慰労会でも興奮が冷めることはなかった。
 下の写真は当日の大会プログラムと一緒に配布された創立80周年記念ピン・バッジ(シェーカーの形に"80th"と"NBA"が刻まれている)と携帯電話ストラップ(メダルの周囲には"NIPPON BARTENDERS ASSOCIATION"が、中央のシェーカーには"NBA"と"80th"が、シェーカー・ボトム部のペナントには"since 1929"と刻まれている)。

2009-06-06

JIUキャンパスにて

 請われて東金市求名のキャンパス二つの教室でメディア学部の生徒達を相手に、出版(編集・印刷)とコンピュータとの関わり(DTP)や文字(フォント)の歴史について話をしてきた。
 その中で仮名や漢字のベースとなる矩形の持つ心理学的な性質や、国や地域によって漢字の骨格に対する好みが異なることに触れると興味を持ってくれたようだ。

2009-06-04

なんだろう?

 北千住駅からスポーツ・ジムまでの近道が見つかった。近道は住宅地の間を抜けて行く細い露地で、途中に緑色の金網に囲まれた窓もドアもない古いコンクリートの固まりがある。側に電柱は立っているが電線が繋がっている風でもない(地下ケーブルかも知れないが)。
 この灰色の固まり、一体何なんだろう?
 金網にくくりつけられている標識を見ると、地下鉄千代田線と関係がある施設らしい。換気口なのだろうか?
 近道と言ってもわずか1、2分の違いなのだが、ここを通る度に頭の中に「???」が湧いてくる。

2009-06-02

いつの間に…

 鳥居越しに姿を見せた「キャピトル東急ホテル」、地上29階建てと言うからもう少し階層が積み上げられるのだろう。
 以前の建物が解体されて鳥居の上がすっきりしていた頃はこんなだった。
 取り壊す前のキャピトル東急ホテルはこうだった